- 三浦龍司ってどんな子ども時代を過ごしたの?
- どうやって世界と戦う力を身につけたの?
- 強さの秘密はどこにあるの?

この記事を読むことで、三浦選手がどんな少年時代を過ごし、どのようにして世界の舞台に立つランナーになったのかを知ることができます。
小学校時代の走りとの出会いから、中学・高校・大学での成長、そして現在の姿までを一緒にたどっていきましょう。
三浦龍司とは?

三浦龍司選手は2002年生まれ、島根県浜田市出身の長距離ランナーです。
専門は3000m障害で、日本記録を持っています。
東京オリンピックでは決勝に進み、世界の舞台で入賞を果たしました。
小学校時代は?(走りとの出会い)
三浦選手は体を動かすことが大好きな少年でした。
小学校に入ってすぐ地元の陸上クラブに入り、走る楽しさに出会います。
長距離だけでなく、短距離やハードルなどいろいろな種目を経験しました。
この幅広い体験が、将来の3000m障害につながっていきました。

母親の手紙でも「じっとしていない子」という記載があったそうです。
とにかく元気な少年だったようですね!
中学校時代は?(部活とクラブの二重所属生活)
中学では学校の陸上部に入りつつ、クラブでも練習を続けました。
部活では仲間と切磋琢磨し、クラブでは専門的なアドバイスを受けることができました。
この二つの環境が大きな成長につながり、1500mや3000mで全国大会を経験します。

クラブチームのコーチより3000m障害への適正を発見されていたそうです。
ただ、中学で3000m障害の競技そのものがないので、その下地を育てていたようですね。
高校時代(3000m障害への本格的な挑戦)

京都の洛南高校に進学すると、3000m障害に本格的に挑戦します。
障害を跳び越え、水濠をこえながら走る独特の競技に取り組み、全国トップクラスの成績を残しました。
勝つことに加えて、レースで積極的に仕掛ける姿が注目されました。

3000m障害を始めてからは、そのカテゴリー歴代新を更新するなど活躍を見せますが、インターハイ優勝の経験なないようです。
様々な挫折を経て、今の三浦選手がいるように感じますね。
大学時代(世界への挑戦)
順天堂大学に進むと、世界との勝負が一気に現実になります。
東京オリンピックでは予選で日本記録を出し、決勝に進んで入賞しました。
その後も記録を更新し、ダイヤモンドリーグなど海外の大会に挑戦し続けています。
スピードと障害をこえる技術を高め、世界基準の走りを見せています。

中距離のトラック種目で、世界と戦える選手を見れる日が来るなんて、当時は思ってもみませんでした。
そして今
社会人となった今も進化を続けています。
日本記録保持者として、世界大会でのメダルを目指して挑戦を続けています。
地元・島根の応援を力に、さらに上を目指す姿勢は変わりません。
まとめ
三浦龍司選手の強さの源は、幼少期からの「走ることが好き」という気持ちです。
小学校で走りと出会い、中学で部活とクラブの二重環境を経験、高校で3000m障害に本格挑戦し、大学で世界へ羽ばたきました。
積み重ねの先に今の強さがあります。
これからも三浦選手は、日本の長距離界を引っ張っていく存在です。

まだ23歳であることにびっくりしますね。
今後のさらなる活躍に期待です。
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