「いつも、あと少しだった。」
クラシックで惜敗を続け、同門の天才・メジロマックイーンの影に隠れていたメジロライアン。そんな彼が、主役の座を奪い取ったあの日を覚えていますか?
・メジロライアンの戦績一覧(なぜ善戦マンと呼ばれたか)
・1991年宝塚記念の「外からねじ伏せた」勝因
・屈腱炎からの復活と、種牡馬としての功績

この記事では、メジロライアンの激動の戦績と、横山典弘騎手との絆について解説します。
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メジロライアン 基本情報
| 馬名 | メジロライアン |
|---|---|
| 生年月日 | 1987年4月11日 |
| 通算成績 | 19戦7勝(G1 1勝) |
| 主な勝ち鞍 | 宝塚記念(1991) 弥生賞(1990) 日経賞(1992) |
| 主戦騎手 | 横山典弘 |
| ライバル | メジロマックイーン、アイネスフウジン等 |
| 特徴 | 筋肉質の馬体、モヒカン刈り(たてがみ) |
メジロライアンの戦績:なぜ「愛すべき善戦マン」なのか
メジロライアンの魅力は、「強い相手に食らいつくが、あと一歩届かない」という人間臭さにありました。
主な重賞勝ちと惜敗の歴史
| 年 | レース | 着順 | 勝ち馬(ライバル) |
|---|---|---|---|
| 1990 | 弥生賞 | 1着 | (アイネスフウジンらを撃破) |
| 1990 | 皐月賞 | 3着 | ハクタイセイ |
| 1990 | 日本ダービー | 2着 | アイネスフウジン |
| 1990 | 菊花賞 | 3着 | メジロマックイーン |
| 1990 | 有馬記念 | 2着 | オグリキャップ |
| 1991 | 宝塚記念 | 1着 | (2着:メジロマックイーン) |
| 1992 | 日経賞 | 1着 | (復活のラスト勝利) |
ご覧の通り、オグリキャップの引退レース(有馬記念)で2着、アイネスフウジンの逃げ切り(ダービー)で2着。常に「歴史的瞬間」の引き立て役でした。
しかし、これがファンの判官贔屓(はんがんびいき)を刺激し、絶大な人気を誇りました。
宝塚記念1991:天才マックイーンを破った「覚悟の早仕掛け」
メジロライアンを語る上で欠かせないのが、1991年6月9日の宝塚記念です。
相手は、天皇賞(春)を連覇し「絶対王者」として君臨していた同門のメジロマックイーンでした。
「追い込み」を捨て、自ら動いた3コーナー
それまでのライアンは、後方で脚をためて直線の末脚に賭けるスタイルが持ち味でした。
しかし、この日の横山典弘騎手は違いました。
「後ろからではマックイーンには勝てない」
そう判断したのか、勝負所の3コーナー付近から早めに進出を開始。
いつもの「待ち」の競馬ではなく、自ら前を捕まえに行く驚きの積極策に出ます。そのまま直線でも脚色は衰えず、猛追するマックイーンを封じ込めて先頭でゴール板を駆け抜けました。
語り継がれる「スタンドへの一礼」
この勝利は、若き横山典弘騎手にとっても悲願のG1制覇でした。
ウイニングランの後、彼が馬上でスタンドのファンに向かって深々と一礼したシーンは、今でもオールドファンの間で「最も美しいシーンの一つ」として語り継がれています。
屈腱炎との戦い:それでも彼は復活した
栄光の宝塚記念の後、彼を待っていたのは「屈腱炎」という競走馬にとっての不治の病でした。
有馬記念での敗北、AJCCでの凡走。「もう終わった」という声も囁かれました。
しかし、1992年の日経賞。59kgという酷量を背負いながら、彼は復活勝利を挙げます。これが彼にとって最後の勝利となりましたが、「諦めない強さ」を最後に証明してターフを去りました。
種牡馬としての功績:メジロの血は生きている
引退後は種牡馬としても優秀でした。「メジロ」の冠名を持つ名馬たちを世に送り出しています。
- メジロドーベル:牝馬G1を5勝した名牝
- メジロブライト:天皇賞(春)を制したステイヤー
特にメジロブライトは、父譲りの勝負根性を受け継ぎました。彼らの活躍により、ライアンの血は今の競馬界にも影響を与え続けています。
まとめ:メジロライアンは「記録」より「記憶」に残る馬
- クラシック三冠すべてで馬券圏内(3着・2着・3着)
- 同門の天才・マックイーンを宝塚記念で真っ向勝負で破る
- 横山典弘騎手との絆は、今もファンの語り草

もし「最強馬は?」と聞かれたら別の馬の名前が挙がるかもしれません。
しかし、「一番応援したくなる馬は?」と聞かれたら、多くのファンが迷わず「メジロライアン」と答えるでしょう。



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